隣の芝生は青いもんだ

3月 9th 2007 -

なんか、最近後輩と勤務時間中メールのやり取りしてるんだけど、ちょっと悩んでるみたいだったな。

ようは「自分のなすべきことは何か」とか「自分がやりたいことは何か」とかな。
誰でも悩むところだ。
んなもんは結局わからないもんだよ。
ほかのひとと自分を比べると、その人の能力が羨ましくなったりする。

それはただ単に「隣の芝生は青い」というやつだよ。
人それぞれ得手不得手があるもんで、当人にとっては意識しなくても得手の部分が伸びるもんよ。

「当人にとって意識しなくても」というのがポイント。

この当人(比較対象者)にとってみれば、得意分野なわけで、実際その得意分野の作業は難なくこなせる。
でも、それをほかの人の視点から見れば、「あんなことできていいなー」とかになる。
比較対象者がその得手分野を意識してないのは、その分野の基準の物差しが高くなっているから。
で、傍観者側にとってはその出来事を見た時、図るのは対象者の物差しではなく、自分の物差し。
だから対象者の技術をうらやましがったりする。

で、さらに言えば傍観者(自分だな)の中でも当然得手不得手があるわけで、同じように自分の得手の分野では自分の中で「できて当たり前」と思っている。
要するに、自分の得手分野が他人から見たら物差しが違っていることに気付けない。

だから「隣の芝生は青く」見えるわけですよ。

人間の判断基準のほとんどは、相対的な比較が大部分を締める。
絶対的な判断なんてのはほとんどないとおもう。

だから、単純にほかの人に仕事を分担して、自分は特にそのことに直接的には加担しない、というようなシーンでこの「物差しの違い」が顕著に表れてくる。

俺らみたいなSEなんてのは実際のコーディングするような仕事じゃない。
で、実際のコーディングはその機能担当の人の分担、ということになる。

こうして書けば論理的には至極当然の分担だ。
でも、実際の現場ではてんてこ舞いなわけで、開発拠点さんも、SE側も。
で、こういった状況になるとほかの人の分担分に対して手助けとか協力とかしなくちゃならないのでは、というような考えになるのは別に特別なことではない。

で、SEさん側からすると、コーディングができないわけで開発拠点さんのおてつだいはできない、という現実があるわけだ。
「隣の芝生は青い」の応用形だ。
この場合、芝生=コーディング能力に当てはまるかな。
SEはSEの仕事があり、それがたとえ事務的なものであっても必要な仕事であり、それは開発拠点さんにはできない仕事。
で、開発拠点さんにとったらSE業務とか全体進捗管理とかは出来ない。

という感じで、それぞれに分担があり、自分の立場(物差し)で相手の作業を計ったりすると、そこに結果的に待っているのは「自分の能力のなさ」という点を早合点してしまう。
見てる観点が違うんだよ。
自分に能力がないのではなくて、その分野は専門外なだけ。
ただそれだけ。

ここは割り切らなければ自分がつぶれる。
当人は意識していなくても、な。
自分が他人と他人の仕事を見比べたばあい、どの物差しを使って計っているかを少しでも考えてみてはいかがなものかと思う。

所詮人は相対的な価値観しか見いだせないもの。
それが相対的か絶対的かの問題ではなく、物事を判断する際の判断基準をどこに置くかというところです。

ま、あんまり一人で悩むなということだ。
一人で悩んでも、所詮自分の中の物差しでしか計れないんだから、大した回答は出ないよ。

以上、無駄に人生経験(対人関係とか?)が多いアホの独り言でした。
こんなこっぱずかしいことよくかけるな、と自分でも思うよ( ´Д`)

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